【沈まぬ紫陽花の夢】
枝から離れた、その時から踊りははじまる。
流れ流れて、萼片花弁が沈むまで。
2021.06.26
ずっと見ている夢がある。
少し息苦しさを感じて、それにもやがて慣れてしまうような梅雨の時期になる頃に、毎年見る。
水辺を揺蕩うことになれど、この夢はオフィーリアになんてならない。
夢の中の自分は花のひとひらだ。
その花の名前は紫陽花。花弁だと思っている部分は実は萼片であって花弁ではないということはこの夢の中ではそれほど重要ではない。現実においてもまぁ重要ではない。ただ綺麗だと鑑賞するにおいては。
花こそ同じものではあるのだが、移り気なものだ、毎年毎年その色を変える。今年は白。少しの青も、飾るように彩っている。
湿った林の中。木々に隙間はあり、鬱蒼というほどには薄暗くはない。朝のような清々しい空気に満ちている。
その地には水神の蛇がいる。
太さが人の身ほど、その長い身体の大半が水の中だから、どれほど長いのかはわからない。白い蛇だが、透き通っているという印象もある。表情や感情はわからないが、危害を加えてくる恐怖は感じない。
そこで、花のひとつである私と蛇は踊るのだ。
人間の伸びやかな四肢を駆使して風のように舞うのではない、水に浮いた花弁が流れに沿うようにくるくると踊る。くるくる。その様は、湖のようで、泉のようで、沼のようであり、川のようでもある。
どれだけ濡れても不思議と沈むことがない。水に受け入れてもらえているようだった。
――それでも終わりは来る。それは花びらが枯れゆく時。
張りを失くして、水に触れるままに吸って、やがては眠るように仄暗い水底へと落ちてゆくのだろう。……そうして夢は終わるのだ。
その夢を見た後に、何が変わるのかと言えば。
目覚めた後は普段より酷く身体が重い。現実ではないその場所に感覚が起きさられてしまったかのようだ。けれど夢を見る前よりも、ずっと心は軽くなっている。踊るように軽やかに、流してしまえと囁くかのようだ。
そうしてまた日々という抗いがたい流れに戻ってゆく。ほんの少しだけ、上手に泳げるようになって。
だから、これもまた、湿った空気や雨音を好きでいられる理由のひとつ。
それが沈まぬ紫陽花の夢、その話だ。